先日のセミナーで気付き・学びについて
僕は、自分の死を考え、
お葬式の時に誰が来て、なにを言ってくれるのか?
というワークが苦手でした。
理由は、
自分が死んだ後のことは
自分が考えるのではなく、残った人が考えればイイと思っているから。
後は知~らね、と言っているのではなく、
誰かに感謝して欲しいとか、
誰かに素晴らしい言葉を掛けて欲しいとか、
というのが目的ではなく、
今できる最善をすればそれでいいと思っているから。
なんかこのワークをすることが、
自分すげーだろって、言いたいみたいな感じに思えていました-_-;
しかし、いざやってみました。
もちろん、最初は上記のような思考が邪魔してなかなか言葉が出てこない。
というか、想像ができない・・・。
そして出た言葉は、、、
なんとなくこう言うだろうな、
この人にはこう言って欲しいな、
という言葉でした。
そして、ふと思った。
今の行動を続けていて、それは現実化するのだろうか?
10年後は大丈夫?
5年後は?
3年後は?
1年後は?
明日は・・・?
そう考えた瞬間、僕はこのワークの意味を知りました。
もしかしたら、このワークの主旨とは違っているかもしれないが、
僕には僕なりの解釈ができた。
自分がイメージした人たちが、
イメージした言葉を言ってもらうのがゴールとする。
現実は、どうなのかを考える?
そのゴールと現実とのGAPを考え、それを期間を決めて埋めていく。
それがこのワークの真の学びだった。
今の延長線上にゴールはあるのか?
例えば息子の弔辞・・・
「忙しそうな人だったけど、いつも楽しそうに仕事の話をしていた。
でも自分のことはいつも大事に思ってくれていた。」
いつも楽しそうに仕事しているか?
いつも息子のことを考えているのか?
じゃ、そうなるように、
どういう行動をしていけばいいのか?
どういう行動を積み重ねていけば良いのか?
ということですよね。
今回は他に、
友人、仕事、仕事以外のコミュニティと言うほかに3人をチョイスしました。
その3人の弔辞にも同じように自問する。
うん、今何をすべきが良いのか、分かってきた!
でも、やっぱり最初に戻って、、、
僕の葬式での弔辞で、
誰が何を言おうが構いわない。
それを僕が聞いているか聞いていないか、分からないから。
たぶん、気になって聞きに来ているかもしれない。
そして、その言葉を聞いて満足しているかもしれない。
死んでまだ後悔を残らないように
生ある今を精一杯生きたいですね。
みなさんは、今、精一杯生きたいますか?
生きられていないという方は、とりあえず運動しましょう!
身体の限界まで動き続けましょう^-^
きっと何かが見えてきます♪
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