変化の代償

マインド

君は、本当に変わりたいのか

変わりたいと思う理由は何か

「変わりたい」というか

「良くなりたい」という気持ち、

誰でにもあるのかと思います。

 

もっと稼ぎたい

もっと楽したい

もっと効率化したい

もっと楽しくなりたい

(これ、ぜんぶ僕の感情です)

 

その比較対象は「今」で

「今より〇〇したい」

 

そしてその方向性は「未来」に向き

「もっと〇〇なりたい」

なのだと思う。

 

変わった先に何があるのか

何を求めて変わるのか。

その先に望むものは見えているのか。

 

なんとなくやってみるでは、

その先の世界は想像範囲になる。

 

想像できる範囲ものを手に入れたいなんて

そんな小さな世界に閉じこもらず、

考えもしないものを手に入れようではないか。

 

 

変わるために、何を犠牲にできるか

変わりたいという気持ちの代償として

何を指し出せるか。

 

変化のために自分の身体を酷使するかもしれない

 

変化のために周りの人たちもストレスを感じるかもしれない

 

 

そして、変化するために現状を認識する勇気があるか。

それをさらけ出す勇気があるか。

 

人に助けを求めるなら、自分の変えたいところを

しっかり伝えることはできるか。

その精神的なストレスも代償だろう。

 

本気で変えたいなら、

どこまで自分という殻を外すことができるだろうか。

 

本当に変わって良いのか

さて、ここまで話して、

本当に変わりたいか。

 

支払う代償に対して、

得るだけの変化か。

 

自信を持って言えるのか。

 

その確認は、常に行うべきだと思う。

 

 

首肯するなら、

まっしぐらに進むだけ!

 

最後に

変わるのも変わらないのもイイと思います。

変化を嫌うのは人の性。

 

ただ僕は、生き残るためには

小さくちょっとずつ変わり続けなくてはいけないと思っている。

 

編集後記

最近、ワラーチを履いています。

ぺらっぺらのサンダルなので、裸足で歩いている感覚がする。

芝生の上を歩くのがとても気持ちい。

 

しかし、難点が1つ。

本来の歩き方に近づくため、靴を履くことによって変えられてきた歩き方と変わる。

脚の裏側をいつも以上に使って歩くので、足の裏側が全体的に張る。

ストレッチは毎日欠かさずやっています。

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