変えたいのか、変わりたいのか

マインド
昨日、十数年来の友人に会った。
会社への想いがいろいろあり、加えて仕事での配置換えがあり、
退職も視野に入れているとのこと。
今までの仕事内容はかなりの責任がかかるポジションで、
結構ストレス的に大変なのは聞いていた。
中から、外から、色々やんやあるんですね。
で、今の転籍先はどうなのか?
結構、自由にやれているみたい。
責任も以前とは比べものにならないくらい減り、
同僚よりもいろいろ俯瞰して見れていて、余裕もある。
きっと今まで大変だった経験が活きているんだなって思いました。
でも、
会社に未来を感じない=自分にも未来を感じない
だから退職し、次の場を探そうとしている。
僕は辞めたいという人の意志は必ず尊重します。
言霊を大事にするので、出た言葉には命が宿ると思っている。
だから、辞めるという言葉にも命があり、
その言葉を口にするまで、頭と腹では何度も行き来し、
充分の熟考して出た言葉だと思う。
友人には辞めることやどうしていきたいのかなどについて、
進む方向性の考え方のヒントを話しながら気付きとして受け取ってもらえた、、
かと思っています。
でも、今回のケースで言えば「辞める」だけが選択肢ではないと思った。
今、余裕がある現状でトライを繰り返し、スキルアップややりたいことの方向性を
定めていってもいいんじゃない?
というアドバイスもした。
会社の状況、人間関係、自分のスキル、同僚のスキル、日々の過ごし方
上記を「変えられるモノ」と「変えられないモノ」という切り口で分けてみる。
「変えられるモノ」
 →自分のスキル、日々の過ごし方
「変えられないモノ」
 →会社の状況、人間関係、同僚のスキル、
大きく言えば、すべて変えられるかもしれない。
でも、他人や自分以外のモノを変えるのは結構大変ですよね。
自分自身だったら、変えやすいはず。
えっ?自分の方こそ変えづらいって?
そうやって生きているから、
結局なんも変わんないんでしょ?
時代がどんどん変わっているのに、
自分が変わらなったらポイ捨てされますよ。
自分の地位やポジションにあぐらかいて、
いつまでも長時間労働を自慢し、それを迎合したり、
「有給使うなんて信じられない」とか言ったり、
そんなことしていたら、いつもの間にか自分の居場所が無くなって、
無くなった者同士で愚痴言って終わりますよ。
「変わらない」という選択肢を取るのも良い。
「変わる」という選択肢を取るのも良い。
どっち選んでもそれを正解にするためのこれからを生きれば良い。
でも、存在し続けるのって、
目に見えない程度でもちょっとずつ変わり続けることだからね。
こんなことを書きながら、
改めて友人にエールを送りたいと思います。
もちろん、読んでいる皆さんも、僕自身も、
もっともっと、がんばれ~♪

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